目次
概要
平泉の4つの浄土庭園のうち、3つは聖なる山である金鶏山に焦点を合わせており、仏教における浄土という概念と日本固有の庭園,水,周辺の景観の関係性という発想の融合を例証するものになります。
浄土庭園のうち2つは、発掘調査で発見された多くの詳細事項に基づき再建されましたが、残りの2つは地下に埋蔵された状態で今も残っています。
11世紀および12世紀に東北地方の政治・行政の中心であった平泉は、短い期間ではありましたが、政治的・商業的に京都に匹敵する発展した年でした。
4つの庭園は東北地方の統治一族である奥州藤原氏により建設され、現世における浄土の象徴的な表現として、泉水や樹木、金鶏山の山頂と関係した完全な仏堂の配置を通じて、楽土の光景を具現化したものとなります。
重厚に金箔を被せた中尊寺金色堂は、12世紀より唯一残存している建造物となり、奥州藤原氏一族の卓越した富を反映しています。
1189年に平泉が政治・行政上の地位を失い、平泉一帯は滅びることとなりましたが、平泉・奥州藤原氏のの華々しい勃興と莫大な富、また、急速で劇的な崩壊は多くの詩歌を生み出す源泉ともなりました。
1689年には俳人・松尾芭蕉が「夏草や 兵どもが 夢の跡」と歌にしていることでも有名です。
世界遺産である平泉は、かつての日本の巨大・中心都市に存在した四つの浄土庭園からなる遺跡群、および、12世紀より残存する類まれなる仏堂、また、聖なる山である金鶏山との関係性は、日本の他の都市の仏堂や庭園の設計および庭園デザインに影響を与えており、独自の発想や平泉の富、権力を反映した類稀なる遺産となります。
登録基準
(ii) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
平泉の寺院と庭園は、仏教とともにアジアから日本へ導入された庭園建設の概念が、日本の古代の自然崇拝である神道に基づいて進化し、作庭技術や仏堂建築に反映されて日本独自のものとして生み出されました。
それら庭園や寺院は、特に鎌倉などの中尊寺を参考に建築された寺院など、他の都市の寺院や人々に影響を与えました。
(vi) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
平泉の庭園は、東南アジアにおける仏教の普及、そして日本の固有のの自然崇拝と仏教とが独自の融合を果たし、阿弥陀如来の極楽浄土信仰を中心とする浄土思想を明確に反映しています。平泉の寺院と庭園とが織りなす遺産は、仏教における極楽浄土の現生における象徴を表しています。
英語名
Hiraizumi – Temples, Gardens and Archaeological Sites Representing the Buddhist Pure Land
遺産種別
世界文化遺産
所在地
岩手県
中尊寺(ちゅうそんじ)
奥州藤原氏の初代清衡が12世紀始めから四半世紀をかけて造営した寺院。境内には、金色堂、金色堂覆堂、経蔵等の国宝および重要文化財がある。また、鎮護国家大伽藍一区跡等、境内の全域が特別史跡に指定されている。
毛越寺(もうつうじ)
2代基衡が12世紀中頃に造営した寺院の跡。境内には、特別名勝に指定されている「浄土庭園」と、特別史跡及び特別名勝の構成要素である常行堂が含まれている。また、常行堂で行われる常行三昧の修法と「延年」の舞は、12世紀における浄土思想の無形の要素として重要である。
その他の構成資産の所在地
「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」の構成資産と所在地 | 日本の世界遺産一覧
世界遺産登録時期
2011年
観光客数
約216万人(2017年)
平泉町への観光入込客数(岩手県 – 平成29年版岩手県観光統計概要について)
その他の日本の世界遺産の観光客数ランキングはこちら。
日本の世界遺産 観光客数ランキング
構成資産
- 中尊寺
- 金色堂
- 覆堂
- 経蔵
- 毛越寺
- 観自在王院跡
- 無量光院跡
- 金鶏山
おすすめ旅行プラン
おすすめ宿泊数(大阪から行く場合)
2泊~
おすすめ交通手段(大阪から行く場合)
新幹線(約5時間半程度)
必要な体力
★★★☆☆☆☆☆☆☆
坂道等を歩ける程度の体力があるのが望ましい。
旅行日程例
予算の目安
新幹線往復 約4.4万円
宿泊費など 1万~2万円程度
平泉周辺の観光地
平泉周辺には有名な観光地はあまりありませんが、新幹線で行く場合には仙台駅で乗換となるため、仙台駅で途中下車し、仙台観光や仙台グルメを楽しんでみてはいかがでしょうか。